箱を開けて

自然の営み と 人の営み

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自然と人工と反するようなものですが、同じだなと感じました。
花も人も命を持ち、その営みには、知らず知らずに、或いは、はっきりと意志や意図が反映さているかもしれません。

北海道在住のキャンドル作家 折笠 恵子さんの作品が今朝入荷し、山の店で開封し、箱のまま店の外に持って撮影していました。

彩り豊かに咲くこの瞬間の紫陽花とキャンドルをのせたスタンドが調和しているというだけでなく、花は枯れ、キャンドルは燃え尽きるという、なにかはかなさのうえにある微妙な心境に、そのものたちが、共鳴するように感じました。

『消えるものは、美しいと思いませんか?』

と、折笠さんは、自身のブログに書いています。そして綴られる言葉に、

『夜の紺色が夕暮れをのみ込むとき。
陽の眩しさがゆっくりと夜を連れ去るとき。
何の意図もなく曖昧に入れ替わる四季。
そんな機微の美しさを表現するために、わたしはキャンドルを作っています。』

紫陽花自身はどうしてその彩りを表現しているかは、わかりません。折笠さんも紫陽花を意識して製作していません。ただ今回自分が紫陽花とリンクしたまでですが、写真を撮り終わったあとにブログを読んで、なるほどなと。
でもその真骨頂は作成する意図以上に灯すことだと思いました。灯すそれぞれの人へ、またその空間に、なにか違うものが付加されていくような感じ。キャンドルとして全して、消えてなくなる。それが作られたという1つの証明。灯火上には見えないところのなにか深い意図のように感じます。

『ずっと同じまま存在できないけれど、きえるものは美しいと思いませんか?
誰もが、いつか消えてしまう「命」をいきているように。』

撮影しようと思って自然と人工が同じだと感じた最初の思いが、さらにブログを読んでもっと輪郭を持って感じることができました。

 

2016.06.06 Updated |