張ってみました

久しぶりに椅子張りをしました。
これまで椅子張りの仕事は、経験はあっても椅子張り職人ではないので、お断りしてました。
が、これまで張替えの問い合わせが多く、その経験を活かせれば, こちらも、あちらも、そして家具の関係も、さらに寄り添える関係になれるかなと思い、受けはじめました。
と、言っても全てに対応できません。ソファーとかではなく、キッチンチェアなど座だけのものとか、やれる範囲で少しずつ。

椅子張り

今回したものは、北九州市小倉にあるyang bang brocante さんから依頼されたもの。http://www.yan-gang.com/
今のようにウレタンのマットを使用せずに、ステッチして成形した麻布に繊維の詰め物とスプリングで座を構成しているものでした。
座布自体がすれて、詰め物が飛び出している状態から、綿の布で詰め物の繊維を包み、ワディングという綿状の敷物を敷き、最後にトップコートの座布を張る作業。タッカーでうちつけるのでなく、一振り一振り鋲打ち。
布を剥がさないと詳細がわからないところがあり、これも他の家具を修理する場合と同様で、頭を搔くこともあります。

ついでに、指も少し腫れ上がってました・・・。刺したり、叩いたり・・・。

 

 

2014.07.20 Updated |

ふとして

くすんで、磨くつもりで店の奥にしまってあったカトラリー。
見てもらう機会があって、奥やらキャビネットのひきだしから出してきたカトラリーらは依然くすんだまま。
そんな風にしたままの状態に、これはこれは・・・と気付かさせてもらい、磨き始めた中にあった二つの小さなスプーン。

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両方ともシールドの中にT.H&Sの刻印。刻印からメーカーを特定できなかったものの、同じところの所業で間違いはなく。
ただ柄の先端の飾りが左右逆。もう一度ひねれば同じ方向なのに、これは意図的なのか気まぐれなのか。

仕入れた時や前回磨いた時には気付かなかったこと。そして2つ在るから気付いたこと。
思い込みのままでいると、目の前にある事実さえ、見落としてしまっていること。
雨降りの中、磨いている最中に ふとして気づいた事柄。

 

最近

四月から家具を直す時間や機会が増えました。
時間あれば夜、店でも作業。

夜は狭い店の家具を移動し、作業空間づくり。
そんな中で、どう対処しようかと思い、悩んだり、または楽しんだり。
好みや懐かしい曲がインターネットラジオから流れてくると、鼻歌で応えながら。

夜が更けるのも早いですが、心地よい時間です。
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        独 坐 幽 篁 裏
        弾 琴 復 長 嘯
        深 森 人 不 知
        明 月 来 相 照      竹 里 館                            王 維

 

 

 

 

大事なアイテム

家具を直していくときに、各パーツにバラバラにする作業があります。金具をつけてたり、パーツの接合部分にネジが使用されている箇所も少なくありません。でも単純にネジはまわせば外れる品物なんですが、これが割りと気を使います。
やはりネジも錆びていたり、何度も締めては開けもしていると弱くなってたり、ネジ山つぶれてたり・・・。

ネジ山が生きていても、その大きさも様々なので、横着して合わないドライバーを使うとネジ山切ったりして、もう修理の出鼻をくじかれ、痛い思いすることになるので、合うドライバーを使います。
マイナスドライバーだけでも、大小たくさん用意してネジ回し。 昔は蚤の市とかいくと、マイナスドライバーをよく買ってました。

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ドライバー回すときは、身体も乗せて、ネジにまっすぐ。
はじめゆっくりじわーっとまわします。一度締めるほうに回して、反応あれば開けるほうに、じわーっと。
ほんと集中してまわしてます。
今の生活では、マイナスのドライバーなんて使うことが激減だと思いますが、ここではしっかり現役です。

鏡よ鏡、鏡さん。

ある種携帯の化粧箱にもなる、箱状の鏡台。
日本のもので、鏡のしまわれ方から鏡台になる様が気に入りもとめた一品です。

引き出しの中には櫛と髪飾りが入ってました。櫛は漆櫛。飾りは透かし彫りに真珠を模したものが装飾されたもの。
和装と洋装を思わせるものが一つ同じ場所に。

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持ち主はどちらも着こなすハイカラな大正女子だったんだろうか?と妄想にふけてると、ふと鏡から泉鏡花へと矛先がかわってました。作中の着物の描写中になにか櫛のものあるかと調べてみた文中では、櫛差す情景がなかなかイメージできず仕舞い。ただ、色ということを書いた随筆中に、櫛・簪のことが。

『また同じ鼈甲を差して見ても、差手によって照が出ない。其の人の品なり、顔なりが大に与かって力あるのである。
 すべての色の取り合わせなり、それから、櫛なり簪なり、ともに其の人の使いこなしによって、それぞれの特色を発揮するものである。』 「白い下地」からの抜粋 ~ 泉 鏡花

抜粋した文では色のことはよく伝わらないので読んでいただきたいのですが、細やかな表現でかつ魅せる小間物を選び、髪を梳かし、差す姿をこの小さな鏡がずっと見てきたのかな等々、いつも古いものを見ては起こす妄想ループにはまっていました。

2014.02.16 Updated |

一手間

年もあけて、さっそく仕事初めの家具直し。折れた椅子の座の直しです。

古い家具に手を加える時、直すつもりがやりすぎて更に壊しかねないので、緊張していつもとりかかってます。
だから一手間かけて、そのリスクを減らしてます。木のものや修理に関らず、誰もが配慮して行う作業だと思います。
でも、その一手間が、違う手間をかけることも・・・。

小さい木工道具でさえ、かかる力が強ければ、材が割れたり、吹っ飛んだり。それを避ける為にいろいろ治具をつけたり、前作業。ない場合は作るときも。
でないと割れるもんなら、一気にテンション下がるだけで済まなくなることも。

今回は、細い溝を掘るのに、細いドリルで下穴をいれて、掘りやすく、また材の負担を軽くするためにしてました。
でも身体がぶれて、細いドリルがボキって・・・。

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残された折れたドリルの先を取り除くためにさらに違う手間をかけてしまいました。
いつも本体を極力傷つけないように、どうしたらよいか考えて作業していても、ちょっとしたことが仇になりかねません。

反省とともにの2014年のスタート。でも新しく作ったほうがいいだけでなく、切った貼ったで納まらない作業が修理・修復や保存にあります。
それをこのちょっとしたミスの中で、改めて感じたので少し紹介したく、年初めの記事に。

古くても使えていくモノたち。それを使おうとするヒトたち。
そしてそのはざ間に垣間見る、一場面。 ため息や舌打ち、たまに唸りが作業場に静かに流れます。 笑 

無事に座の一部として使える様に作業が終えたことは強調して書いておきましょう~!

 

入れ物

糸を入れていた箱です。飾り棚に使えるかなと思い、元に戻せるように配慮して中敷を抜いてみました。

糸いれ
下段は細かく分かれ、上段は広く使えるようにしてみたんですが、ミシンの小さな糸巻きをいれてたようなので、小さく細かいものを分け入れるのにいいかもですね。

使う人でその仕切りに入るものが全然ちがって、入れるものの色彩もちがい、全く別物になりそうだなと。
そういう意味では、花をいける花瓶と変わらないもので、入れるものでみせる顔もちがい、入れる人でもちがう。
こんな糸いれでさえ、花器になりえる入れ物なんだなと、ふと中敷抜きしてたときに思いました。

スツール

スツールは、座具としての最初の形態のもので背や肘掛のないものです。
古くはエジプトでシート部分に皮や布を使い、折りたたみタイプや、ラッシング、木の板をつかったものが既に存在していますし、折りたたみのXになっている脚が、ギリシャとかになるとデザインとしてX状の脚が作られています。
椅子と身分、立場というもので分けられて使用された時代もあったようで、主人達が座る椅子に対して、他の人は、スツールに座るという光景がホールとかでみられていたんでしょうね。

店に置いてるスツールの一つは、アンダーフレームがついていて、さらに脚と繋げられているブラケットと呼ばれるパーツが付けられています。

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スツールでアンダーフレームが付くと、座が長方形のものをイメージしてしまうのですが、これは円形です。同様のものは、c1820~1840と紹介されているスツールがありました。
フレームを覆うので、座も大きくなり、他のスツールより大きくなっています。
座の裏に鉄の細い板状なものが角度つけて付けられていました。座の割れなどの修理でもなさそうです。アンダーフレームは、それを避けて掘り込まれている。なんの意味でつけてるんでしょう・・・。可動式ではないようですし・・・。
もしかして花器や装飾品などを置く背の高いスタンドからの転用?でも脚がしっかりしてるからそれはないかななどと思ったり。

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狭い場所の両方にブラケットが付いてるので、尖塔形にも見えて、ビクトリアン時代に流行ったゴシックリバイバルのように感じもしました。
とはいうもののイギリスにおいてゴシックリバイバルの家具は、後半になるにつれてものすごく大きくなり、装飾過多というイメージですが、こいつはわりとシンプルだし。
1900年代に入りエドワーディアンあたりまでいくのか?
よく家具を目の前にしてぐるぐるといろんな考えが巡ってます。

でも座も大きく構造的にも強いので、大柄な人でもどっしり座れるスツールだと思います。
スツールは、机の下にも潜りこませられ、場所もとらず、でしゃばらないスタイルにちょこっと座れる機能もあって好きな家具の一つです。

 

 

 

ボタン

19世紀のビクトリア時代に流行った黒いガラス製のボタン。
ビクトリア女王が、夫アルバート亡き後、喪に服し黒いものを多用したのが、この時期の黒の流行とも言われてます。

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あまり文学などとは程遠い自分ですが、ボタンに喪ということから、うっすら頭に昔目にした一つの詩がおぼろげに。

月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向つてそれは抛れず
浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

- 中原中也 -

愛児を亡くした後に発表した詩ということでした。

Facebookの記事ですが

とても暖かく心地よい日曜日。ドア全開にして入ってくる風もまた心地よし。そういう天気には散策する人も増え、日本画家の方や和服の御許などいろいろな方に来て頂いて、いろんな話もできました。


椅子の修理を頼まれた方も来て、関わりがあるという先達者的な方の本をプレゼントしてくれました。かなりインパクトを受けた方の本なんで、愉しんでます。

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以前の著作のタイトル『ひとりよがりのものさし』もそうでしたが、今回のタイトル『古道具、その行き先』というタイトルだけでやられた感があります。


まだまだ迷走中ですが、自分がこれから照射しようとしているモノや空間、そして取り巻く人。これからも愉しみです。

目の前の椅子から思うこと

写真の椅子をウイッカーチェアと呼ぶ人もいます。ウイッカーチェアで辞書検索すると、籐椅子とでてきますが、天然ものや人工ものを編みこんだ家具などを総称して、Wickerを使うこともあるようです。特に夏や外で使う家具に対して使われているようです。このラッシュシートやロイドルームの椅子などもウイッカーチェアということになりますね。

この椅子は、脚を少し切られているせいで座面高は低くなっていますが、ドッシリ感がでているようです。ドッシリ感というか、低いから自分の脚を前に少しだすと、窮屈さがなくなるせいなのかもしれません。肘掛も付いていて、座った時の姿勢が開き気味になっているという、あくまで自分の感じからですけど。

でもこの椅子の脚は、前面が凸凹で塗装が剥げています。家具を修理していると、その傷や壊れた箇所の原因を考えるんですけど、これに関しては、前倒しになった椅子をシーソー状にしないとできそうにない傷なんですが、肘掛の先端には傷はなく、なんでこういう状況になったんだろって。うーん、猫や鼠だともっとシャープな傷だし云々・・・。実際小さい頃実家にあるソファの上に乗ってドッタンバッタンとシーソー状に遊んだことを思い出していました。

傷も脚のカットもその家具の歴史として表れています。それも一つの古家具の魅力になりうることですけど、家具の修復を勉強し始めた頃、修復の学会で、家具の天敵は、それは人間だと冒頭で発表していた人がいました。なんかガツーンってなりました。 あ、そうか!って腑に落ちたことを思い出しました。使い方、扱い方によってまさに天敵。天敵より、よきパートナーになりたいものです。

陰影

店には強い西陽が差し込みます。
大きな窓だけに、春先からよしずで陽をさえぎり、上下ある上窓だけ開けているのですが、ふとみると窓からの陽が壁に。
陽に照らされた家具の木と鉄の質感と陰影の違いがはっきり浮き出ていました。
その光と影という両極の違いと木と鉄という、同様に両極にあるモノが創出されたその形は、影としては同質のものの様に壁に写っています。

 

違うモノとしても、形にしたのは人間です。そういう表現を例え機械的に作業してできたものでも、
その表面には、機械ではでない少し歪んだアンバランスさを感じます。
それがまたいい味という人もいれば、気になる人もいるでしょう。でもそんな曖昧さに自分は惹かれます。
どちらが好きと聞かれれば 木 と答えますが、どちらも人を介したモノに通じる魅力にも惹かれます。

今、この写真に写っている家具の一つのパーツがアンバランスでさえ、このラインにいたるまで、どれだけの人を介したんだろう。
そしてどういう意図でこの全体のデザインの中でここを張り出したり凹ませたるに到ったんだろう。

こうして見ると世の中にあるものは人の意図でいっぱいですね。
沢山の意図されたものから選択したものを身近なものに。
こういう循環があるからこそ、さらにその意図を昇華させようとして、いいものが生み出されるんだろうな。

 

 

 

 

最近、気になっているのが、キャンドルでした。倉庫に一度キャンドルを灯したいキャンドルホルダーがあって、そのことで北海道でキャンドル製作をしているSTELLA  LUCEさんとやりとりをしてる間にふと気づいたことありました。

店内を見回すと、意外にキャンドルホルダーやランタンなど灯火具が多いことに。いろんなところで仕入れていて、多分無意識というか、単純に好きなんでしょうね。材質もエナメル、ブラス、ピューター、ブリキ、コッパー、アイアンなど。

よくよく考えると、自分が扱う家具のいくつかは、キャンドルやランタンの灯で照らされてきた時も過ごしてきたものです。だからキャンドルホルダーを家具においても自然です。相性がいいなと感じます。当時の生活空間の中では普通だったものを、知らず知らず切り離し、個としてものを見てたから、はっとしてその関係を再認識させられました。

ガス灯がともり、電気が普及し、省電力とLEDがもてはやされている昨今、キャンドルは実生活では常用なものではなくなっています。これは反省もあるんですけど、店で扱いながら、自分の中ではキャンドルホルダーの雰囲気、灯がともされている妄想の中の世界で満足してた感がありました。

でも実際には演出として灯して食事をすることあれば、灯でまったりすることもあったり、キャンドルナイトなどいろいろなイベントが行われています。ただ灯をともすだけのものだけでなく、キャンドルそのものの表情をみせるように努力している人もいます。キャンドルホルダーの代わりになる小物も意識してみれば、身の回りにあったりもします。

それぞれの使い方もあれば、接し方もあると思いますが、この時代だからもっとキャンドルを身近に使っていきたいなと思いました。使ってこそ伝えられたりするものも。 でも火事だけは注意ですね!

店の前で行われる今年の花火大会の日は、キャンドルの灯だけで営業してみよう考えてるので、そのときは覗いてみてください。灯に照らされる家具や小物がまた違う顔をみせてくれると思います。

 

バシャバシャ

5月に福岡にやってくるアーティストさんのPVみてたんですけど、なんかかわいらしいじーさまやばーさまがでてきます。まだ観ていない邦画にも使われた曲らしいんですけど、どんなシーンで使われたんだだろう?

https://youtu.be/mZTb8WxEW78

でてくるいたずらや行動は、自分も全て小さい頃にしたこと。それが万国共通なところってあるのかもしれないなって思いました。みずたまりをバシャバシャするシーンをみて、店の2階の主がしているインターネットラジオから流れてきた曲というか音を思い出しました。

https://youtu.be/C7ba1CNOLiI

バシャバシャしてたら、リズムになり、隣で自分もしてみようって。なんかこれおもしろい!!って。ことの始まりは単純だと思います。でもその単純ななかにいろんな要素がはいってるんだろうな。そんな積み重ねで今のそれがあるんでしょうね。2つの映像や小さい頃の思い出を思うと、人間って過去も今も人間だなって思います。