ゆるりと準備

3月末にショールームを閉じて、作業場に引っ越しをしました。荷物運べば終わりではないのは、重々承知でしたが、8月までは動けず、その先の別な計画もあったのですが、それはちょっと一休み。
今は作業場と保管場所や見せる場所づくり。それに加えて修理も再開です。

                                                       板

現在の作業場を、畳部屋の別部屋に移すにあたって、床に板を敷こうかと材料を調達してきました。
先の台風の事もあって庭先の石を、その板材に置いていました。

一瞬、最近ぱったり来なくなった懐っこい野良猫が丸まって居座っている様に見えて、作業の手が止まり、
                「あ!、あー、石を置いたんだったね」

           来ぬ猫と今後の作業工程が入りまじる思いに耽る軒下の情景。

 

 

2024.09.16 Updated |

Moving for next stage

質屋協同ビル。その1室をショールームとして家具を置いていました。

大きな宣伝することなく、口コミやHPを見てわざわざ来てくださった方が、どんな感想をもって帰られたかわかりませんが、笑顔だった方たちを見逃していません。

並行して実家ちかくの古い家の1室も借りて作業をしていましたが、溜め込んだ修理作業や調べ物で作業場重視になってきていました。去年の年末に古い家を全て使えるようになったので、完全に移そうと考えました。

古い家の方でも現作業場を別部屋か外でかと迷っている最中ですが、2024年3月末までにショールームの移動です。
といっても、現在3つの事を行っていることもあり、移動先も秋以降のお披露目になりそうです。

     書籍

     ショールームを片付け中に見つけた書籍類。記憶からこぼれてました。

 ・住宅メーカーがだしていた、コラム集のなかの1冊。諸先輩方々のいろんな目線の面白さを感じたもの。
 ・古道具を扱う一定層に影響を与えた今は亡き坂田さんの言葉。タイトルにしてまず、うならされて。
 ・英国のコテージに憧れて古本屋で買ったはいいが、パラパラめくりのままでした。横文字は誘眠効果抜群でした。
 ・坂田さんに、タミゼの吉田さんといった方たちの買い付けの記事よんで、いつか買付にパリにって鼓舞した1冊。
 ・世界の素敵な空間を見るのが好きだったインテリア雑誌。洋書扱う本屋で財布とにらめっこしてたのを思い出す。

 久しぶりに見た時のリアクションからして、好みは中年となった今でも基本変わってないようです。

2024.02.12 Updated |

思い起こされる記憶

年始参りに店の真横にある神社に参拝した元旦の早朝のこと。
今年初めてのお客さんは2羽の雀でした。
お客さんというか、ドアを開ける前から裏の窓の、ほんの少しの隙間から侵入していたらしく、逆に迎えられた感じです。
ドアを全解放して、出ていくまで右や左に視線で追って過ごした数分は、新年早朝の明りが満ち、ほどよい冷気な空気も店内を吹き抜け、店の中を清めてくれてるようなさっぱりとした気持ちになりました。

年末までは、実家の大掃除も大大掃除と呼称したいくらいに大みそかの23時55分まで掃除機をかけていましたが、年明け3日からは、作業場の整理をしています。大きな作業台を同業の方からいただいたので、木工する場所と布を扱う場所を分ける模様替え。それに実家に置いてあった在庫やら修理をしようとため込んでいた家具の移動です。

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作業場に置いてあったものを奥の部屋に仮置きしているときに思い出した記憶がありました。
夢の記憶です。小さい頃、時々見ては同じところで目を覚ます夢なので逆に記憶に刻まれていました。

真っ暗な所を進んでいくと、突然あたりが閃光をうけたかのように真っ白になり、そこで目が覚めます。
高校の時、突如として、あの夢はこの世界に出てきた瞬間だと思ってから数十年。写真にある廊下の先の奥だけ眩い陽ざしをみて、思い起こされた夢の記憶。
その記憶の先に実在していた初めて浴びた50年前の光は、もしかしたら今もなお、どこか宇宙の50光年先を進んでいるのかもしれませんね。

地球の地べたに身を這ふも、気持ちは高く高くその先へ。まずは2羽の雀のようにこの店の中から、そして更に高くな2022年になるように。

今年もよろしくお願いします。
 

実家の仮作業場に手を加えるべく庭に増築をと考えている最中に、裏手のお向かいさんが引っ越しするからと家具の引き取り相談に始まり、片付け依頼を経て週に1、2度そこに住むおばあさんと、これいりますか?捨てますか?と確認しながらゆっくり半年ちかく作業をしていました。

長い間お邪魔していると、古い家ながらも所々にお気に入りの場所を見つけ、あんな風に、こんな風に手を加えていけば、きっといい表情になるなと、妄想に暮れた建物。それは物心ついた頃には目にしていたもので、実家同様平屋だけれども、庭も広く、玄関近くの1室は、テラスがあり、窓にルーバーが付き、隣の芝はなんとやら。

空き家にしとくのは忍びなく、愛着も湧いてきたところでルーバーが付く洋間の一間を貸してほしいと持主さんへのお願いが通りまして、作業場として活用していくことになりました。

実家の玄関から80歩。実家のWi-Fiも入るとたったそれだけなのに、ほくそ笑む。作業台を一人で車に乗せる手間よりも、台車に乗せてそのまま道路を渡れば楽だろうとゴロゴロと押して作業場の引っ越し。学生時代に近所の引っ越しだからと、畳屋さんにお願いして軒先に置かれていた大八車を借りて街中を押す自分を思い出していました。

まずは作業できる体制を整え、貯まった修理作業を優先して、手を加えたい箇所の手入れはこれから借りている間にのんびりしてゆく予定です。

作業台2

軒先に運んだばかりの作業台。立てて運んだ作業台をそのままにして置いたら、この後強風で倒れて、パーツが外れてしまいました。大体こんなオチだよなとぶつくさ言いながらそこでの修理第1号は、移動したばかりの作業台。

これがないと作業できないというのもあるけれど、店をオープンするときに作業場づくりした建物の解体作業で出た柱などの廃材で作った作業台。修理することで、ある意味気持ち的にも締め直すきっかけにもなりました。

知らない間に汚し、傷もつけてきたけれど、まだまだお付き合い願おうか。お互いだましだましでも動くまでは。

 

その日はまた、いつものように

春めいてきました。
今年の桜は、きれいに咲く姿をみせてくれても、はやり病を背景にいつもとなにか違うような、違わないような心持でながめていました。でもこちらの心情に関係なく咲いてる姿にも安心するような気持があったのですが、たまたま目にした文章をみて、繰り返して読んだ詩。
偶然ってやつは、ぽんぽんと軽く肩を叩いていくように、なにかを投げかけてくれます。


薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花サク。
ナニゴトノ不思議ナケレド

薔薇ノ花ナニゴトノ不思議ナケレド
照リ極マレド木ヨリコボルル
光リコボルル

「薔薇二曲」『白金之独楽』北原白秋

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玄関を開けると目の前に在るお向かいさんの駐車場に咲く桜。今年は夜になるとスポットライトというお向かいさんの計らい。
4月4日、スーパームーン前日のお月さんと一緒に愛でる心地よいひと時。

 

 

2020.04.18 Updated |

トウキョウ

家具の視察で久しぶりに関東に行きました。
とある家に古い家具が納められたという、誰かが設計した新築の場所に、どんな使い方をしているのか知りたくて。
家に辿り着くまで、話をした建築家さんの言葉で意識した歴史的環境、地形的環境、そして自然環境のなか、施主さんと建築家さんのカタチの中におさまる家具を見て、その一体感とそこに流れる思想に触れてただただ、ワクワクして、感じ入りました。
高揚感に支配されてしまい、腰を据えて感じる心地好い落ちつきさは、身を置いたときの想像もあるかもしれませんが、それでもそれでも。
直感的に溶け込む感覚です。
 
これから施主さんたちと変化していく、建物と住空間。
数歩すすんだけのタイミングで、なかなか見せていただく機会はそうないだろうと思う緊張の玄関。出る時には嬉しくて、短い滞在でも充実した時間を過ごしました。
その充足感は、建物そのものが与えてくれるもの、自ら気になる場所へと身を動かし視線を向け感じるもの、その両方からくるものでした。
そこで語られた建築家さんの思わくのよさ。そして施主さんの思わくに思わず息を吐き納得していました。
ある地点から見た室内に、世界樹という言葉がでてきたのですが、それは単に見る、見たで得たイメージです。
施主さんの語らいには、ご自身の思わくがこめられていて、これがまさに。
その場で得た単なる情景の感想とその場で生活をしてゆくなかでの思想との違い。
その奥深さに。ただただ、ふぅっと。
 
それから帰りの飛行機の時間を遅らせていたので、以前本で見て、常々行きたいと思っていた東京駅前Kitteにあるインターメディアテクに寄りました。
新しく設置された空間ですが、東京帝国大学時代から使用された家具と博物館什器。そして収められていたモノが、場所を変え、陳列されています。
そこに在る陳列する意図は、陳列されるモノの存在からモノを観せていた空間に置き換えられているかのように感じました。勿論、当時の場を切り取り再現している空間もあります。
 
今日、共にその空間に居合わせた人たちを見ると、本来の陳列される目的の理由が後付け的であるけれども、見る側は、本来あった理由として、そこに陳列されたモノを見ているように思いました。
意識して範囲を広くした視線の先にある、幾つかの別テーマなモノが存在していても、ただその場に調和して鎮座しているモノを見ているかのようにです。
破損した標本は、活きる標本の価値を損ない、廃棄されうる対象にもなる、危うい存在として博物館などではお蔵入りしてしまいますが、ここでは標本といわれていた魅せられるモノへの変化も遂げています。
 
その中で、本来モノを見せる行為の中では脇役であり、見せるまでの過程で、作業をし、保管をし、モノではなく人の意思でカタチになった家具。隙間や欠損した部位を剥き出しにし、色褪せながらも、新たなしつらえの中で、ぽつりと浮かび上がり、主役たらん脇役を演じているように見え、陳列されたモノ同様に愛でてあげたい対象になっていました。
それを古家具を扱うヒトの色眼鏡と云うとか云わぬとか。
 
ただそこにも、とある家で感じた一体感を覚えます。
居住空間という、プライベートの空間も公にオープンな空間も、一体感に満ちた空間は、同じ感動を与えてくれました。手を加えられた場に置かれる古いものの具合と人との距離。違う場所でもそこに心地よさを感じていたと思います。
半日を振り返った飛行機のなかで、その感動の奥底で通じる想いを書いています。
地に足を着けず、空の上で言葉を綴る不思議さもちらちら頭をよぎりながら、場面場面を思い出して。
 
今回は、一体感に目を向けていました。ヒトの存在とヒトの魅力があって、様々なモノの存在に反映されている事も感じました。
そんな気持ちのなか、古い家具たちを愛でる以上に手を触れて、いのちの先まで、その魅力が風化しない程度の手伝いを。
これからも得られるその機会を愉しみにしていきたいと思います。
 
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 追記
写真は帰りの飛行機。子どもかってぐらい反応した眼下の灯りに意識を持っていかれました。
着いてすぐに江戸東京博物館で、江戸から東京への追体験。
加えて東京駅や帝大に収まっていたモノに触れた時間を過ごしてたので、江戸!トウキョウ!って子どもみたいに。当時は東京湾に反射する月明かりぐらいだったんかねーとちょっとな昔を想っておりました。
飛行機のなかで書いた文に加筆もしております。

水たまりにジャンプ

この1年は、家具以外の日本の古いものを扱うことをしています。一昔前まで馴染み深く使っていたものから考古資料、絵画や書、人形から襤褸などなど。本来の修復作業の時間がとられている面もあるんですが、合間に家具の修理・修復・改造や製作を地味にしている毎日。そんな中の作業は、うまくいく作業もあれば、まったく駄目だという作業もあり、未熟すぎると辟易することも。イタイイタイ。

家具以外のものでも後世に残すという作業をもっと広い視点でとらえることを、家具と同様に扱うように意識しながら、そのひとつひとつを視ていってます。生々しい記録もあれば、こうなのかなという憶測も混じる中、その残された今の意味を考えながら。

古いものを扱うという行為と同様に保存という事柄に対して昔から関心がありました。今、またそういう事柄を、今いる環境で出来る範囲で少しづつでも知っていきたいなと。今していることが、そこに結びついて進んでいます。

そんな中、久しぶりに開いたStichting Ebenistという家具を含む木製品関連の保存や修復を取り扱う国際的な団体のホームページ。近々のシンポジウムがもう間近なんですが、家具保存への新旧のアプローチなるタイトル。

行けない分、早くシンポジウムの内容が公になるのを待ってます。
その中で目を引いたのが、海外に渡った彫刻が施された屏風が発表の対象なのか、The reconstruction of a carved Japanese Kaki wood screenというもの。
日本人職人とヨーロッパの保存家が技術と知識をシェアして壊れたフレームを再構築した内容。
直に聞きたい内容です。

未熟な自分にイタイイタイと辟易するよりもイキタイ、イキタイというところから発進して、今向かっている方向に傾倒したほうがよかろうとこの数日で味わった自分の感情の流れの一コマでした。

そんな揺らぐ中、偶然また聴いた4年以上前にこのnoteに貼り付けた曲。このライブの別バージョンは見てたんですが、こっちのほうが、なんか自然な一コマのイキイキさを感じて、いいなって。

2018.11.19 Updated |

うつろい

梅雨もあけ夏真っ盛りとなると作業場周辺の彩り豊かだった紫陽花は、幹だけはしっかりそのままに、ただ枯れた姿をさらしている感じです。そして秋の気配を感じ始めたころ、来年の為に切り落とされていく光景を目にしています。乾燥し、変色してもなおドライフラワーにして飾りたくなるものが、大地とつながったままで枯れた姿は、対局なものが繋がっているようで、不思議さを感じた日がありました。

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そんな日に店をみると、花があちこちにあると気づきました。大自然でもなくともそこで日々過ごす人間にとっても、花は身近なものであり、この先も人と花とは同様な関係が続いていくんでしょうね。そのままであったり、そこに手を加え違うものを表現させる代弁者となったり。

などと涼しくなってきた秋の夜半に思いにまかせつつ書いていると聞きたくなった曲があったので。なぜか秋に。しかもこの声、曲のライン、楽器の音自体、沁みてきます。

 

『もののあはれは秋こそまされ』的なのでしょうか。でも兼好さんもその後に綴られているように

『をりふしの移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ』 (季節の移り変わりの様には趣きがある)もあるなと。季節季節を楽しみ、その移り変わる様を自分目線で見てみると、自分なりの小さな発見がありそうですね。

2017.08.28 Updated |

とあるエッセイ集中にみつけた古いものについての記述

『古いというただその事実が、その物に対して何かしら親しみを覚えさせる。

人間は『過去』から出てきて来るのであるから、自らその出処に対するあこがれを持つ。未来に対してもあこがれを持つが、まだ踏みも見ぬ天の橋立で、一種の危惧がある。過去には危惧はない。とにかく通って来たので、このあこがれには望みはないが親しみはある。親しみはやわらぎに外ならぬ。』

また

『懐古癖というが、これは癖というよりも人間自然の惰性である。これは誰にも、多少の差はあれ、あることは疑われぬ。『時』には不思議の性格がある。これがまたやわらぎの惰性を構成する一要因である。』

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あまり自分が使わない言葉、自らも持つ感覚について表されている別の表現は、同じものなのに違うものとして受け止め、別の捉え方が自分の枠を気持ちいいほど簡単に外してくれる感じを持つ。

1947年1月・2月『知と行』

「やわらぎ」P229-234『東洋的な見方』鈴木大拙著 上田閑照編 岩波文庫

2017.08.25 Updated |

箱を開けて

自然の営み と 人の営み

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自然と人工と反するようなものですが、同じだなと感じました。
花も人も命を持ち、その営みには、知らず知らずに、或いは、はっきりと意志や意図が反映さているかもしれません。

北海道在住のキャンドル作家 折笠 恵子さんの作品が今朝入荷し、山の店で開封し、箱のまま店の外に持って撮影していました。

彩り豊かに咲くこの瞬間の紫陽花とキャンドルをのせたスタンドが調和しているというだけでなく、花は枯れ、キャンドルは燃え尽きるという、なにかはかなさのうえにある微妙な心境に、そのものたちが、共鳴するように感じました。

『消えるものは、美しいと思いませんか?』

と、折笠さんは、自身のブログに書いています。そして綴られる言葉に、

『夜の紺色が夕暮れをのみ込むとき。
陽の眩しさがゆっくりと夜を連れ去るとき。
何の意図もなく曖昧に入れ替わる四季。
そんな機微の美しさを表現するために、わたしはキャンドルを作っています。』

紫陽花自身はどうしてその彩りを表現しているかは、わかりません。折笠さんも紫陽花を意識して製作していません。ただ今回自分が紫陽花とリンクしたまでですが、写真を撮り終わったあとにブログを読んで、なるほどなと。
でもその真骨頂は作成する意図以上に灯すことだと思いました。灯すそれぞれの人へ、またその空間に、なにか違うものが付加されていくような感じ。キャンドルとして全して、消えてなくなる。それが作られたという1つの証明。灯火上には見えないところのなにか深い意図のように感じます。

『ずっと同じまま存在できないけれど、きえるものは美しいと思いませんか?
誰もが、いつか消えてしまう「命」をいきているように。』

撮影しようと思って自然と人工が同じだと感じた最初の思いが、さらにブログを読んでもっと輪郭を持って感じることができました。

 

2016.06.06 Updated |

こぶのいち

山の店があるベラミ山荘の変化を象徴するものの1つ。内からでなく、外からの動き。
ベラミ山荘内の不要なものを処分するために始まったベラミ市に始まり、自分の店や工房を移動し、母屋にお店やアトリエが入り、人の出入りが多くなってきた昨今。
オーナーの、ベラミ山荘に居る人の、その個々の人の繋がりや出会いで、新たなことを始めていました。

大きくみれば古いものですが、個々の眼を通して集められてきたものは、ただ古いものとしてあるだけでなく、なにか別なものを内包して、個性をより発揮しているように感じます。
その巡り合せも骨董市、蚤の市の醍醐味であり、蒐集癖をくすぐる魅惑の迷宮となる。ような気がします。

それを、ここでは、こぶのいち といいます。 こぶは、こぶつ(古物)のこぶ。

IMG_0314 - コピー〈ベラミ山荘の門。2016年6月5日に、こぶのいちの門として、開門しています。〉
 
ベラミ山荘に魅せられて、ここで何かをしたいというものが、この場所に縁のある古もの好きな人たちの中にありました。それを蚤の市というかたちで3月に1回目が実現しました。内からでなく、外からの提案。それが変化の1つ。

来る人を不思議な感覚にしてくれるベラミ山荘という空間。自分もその感覚を味わった1人でしたが、共有したい気持ちをも持たせる場所です。
併せて、のんびりと自分のペースで過ごしてほしい場所。その意識が来た人たちに生まれた場所だから実現したと思います。
その実現に協力、参加してくれる人も、なかなかどうして。十人十色。そんな言葉がでてきます。
だから集められたものやそれらが並べられる場、それを集めた人、それをみたいと来る人が集う、こぶのいちという空間を楽しんでもらいたいです。

そして忘れてはならいなものを追記すると、いつもは提供できない飲食。これも繋がりがもたらしてくれたもの。
来てくれている人の気持ちになにか温かいものを感じさせてくれます。こちらをメインとして楽しんでもいいかもしれません。十色のなかのいくつかの色彩。

さらに今回は、この時期だからこそのものが。山荘を離れた道路一つ向こうには、陰ながら手間をかけて育てられた、紫陽花 が咲いています。
色、かたちも違うさまざまな紫陽花たち。その存在には、日ごろ時間があれば、足しげく通い、静かに手入れをしている陰の生育者さんたちを見かけていました。そんな人たちが居るのも忘れずに観てほしいと思います。

古いもの と くちにするもの と はな 
人を介して、使い、味わい、鑑賞する。

みな、おなじ。なような気がします。

そういうものが取り巻く、こぶのいち。自分にとっては、異彩が放つ色彩豊かなもの。
彩りを加えてもよし、抜いてもよし、その補色した色彩を楽しんでほしいです。

それぞれの理由で。それぞれの感覚で。

 

 

2016.05.20 Updated |

寄り道

ここに壁時計があります。自分が住む若松のある時代に時を刻んでいた時計。
映画『花と竜』、舞台は若松。原作者の火野葦平の父や家族、その当時の若松を描いた小説を映画化したもの。
中村錦之介、石原裕次郎、高倉健、渡哲也などの俳優が起用され、何度もリメイクされご覧になった方もいるでしょう。
主人公である玉井金五郎の生き様を描いたもの。その玉井は史実として石炭荷役請負業「玉井組」を設立します。
石炭で賑わいを見せた若松の歴史の中の一断片ですが、この時計が玉井組の事務所の壁に掛けられていたもの。

その事務所から時計が外されて、どのくらいの時が過ぎたかはわかりませんが、今日までの間に欠損し、扉も外れ、
中身も錆びてしまっていた時計。そんな状態で修理依頼がありました。

IMG_0032IMG_0056作業の流れ

近似する木目を抽出してパーツ作成

オリジナルの柄をパーツに転写

彫刻後モール作成

ステイン

ポリッシュ

ワックス

 

 

彫刻は専門でないものの、今回は浅い彫刻なので手持ちの彫刻刀でなんとかなりました。これがより立体的になると得意とする修復家や彫刻家にお任せします。
得意とする人に任せた方が家具やモノにとって最高のケアだと思います。もちろん自分ができる最大のことを施して。
でも彫刻を観察すると、ここから刃を入れてるなとか、その人なりの癖がみえてきます。そのタッチまで忠実に再現は出来なかったにしろ、楽しい観察と作業です。

今回もケースである外側は自分が担当し、時計本体は時計屋さんにバトンタッチ。同じように壊れた時計を目の前にし、さてどう修理しようかと時計屋さんが手を加えていく過程に移ります。

前の使用者から次に受け継がれる過程で、修理する人間も外見担当の自分から中身担当の時計屋さんに受け継ぐ流れ。
古いものを修理する世界でも、場所場所により、そんな有機的な関係の拠点がいくつもいくつもあれば、
時を超えて受け継がれていくものが、確実に増していくことでしょう。
ほんのちょっぴり私たちのところに寄り道して、新たな時を刻んでいくだろう時計。
今回は単に作業をするだけでなく、土地と歴史的な繋がり、人とモノの繋がり、人と人の繋がりというものをすごく意識して作業したものでした。

中身が修理され稼働した時に奏でる振り子に伴う音や渦巻き状の金具をハンマーで叩き、時を報せる音。
一体どんな音なんだろうなとワクワクしてこの作業を終えました。

2015.12.27 Updated |

次の場所

店と修理を別な場所から、同じ場所で。
それが次の場所。

店と工房。ともに興じる空間ですが、異なのか同なのか。
そこに介在するのは、モノと自分の存在は変わらないものの、
その空間を取り巻く意識的なものは、異なのか同なのか。

ちょっとしたスイッチを入れ替えるだけで、異にも同にもなるのでしょうけど。
興じる感覚の受け方が静なのか動なのかでも変わるものかもしれません。

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雨傘をさし、海の店を覗く後姿。青が白地のバックに映えています。
前回初めて海の店で行った企画展に一緒に参加した、虹のいろいろ、蒼さんの写真。

晴れ、雨、天気はそこに関係なく、そこにあるのは色彩を伴う一描写。それをいい写真だなと感じました。
それが陽のまばゆさをさえぎるためでも、それが雨露しのぐための場合でも。

見たときの感覚次第で、傘をさす背景を、晴れ、雨、きまぐれなどと見る側が感じる自由。
それと同様な感覚で、これから作り上げる次の場所をみている自分がいます。

実際としては、まだ作っていないその空間にわくわくしつつ、作れていない空間にやきもき。
そんな心境下で次の場所の絵空事を描き、この数か月過ごしてきましたが、
ようやく、少し容をもって活かせそうです。

2015.09.20 Updated |

しまわれたモノ

しまわれたモノ と しまうのに選んだモノ

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まさかこの容れモノにこんなモノが。
 こういう組み合わせに、意外性からの笑み浮かべてしまいます。

2015.02.04 Updated |

2015年

蚤の市で見つけた、医療用の器具。用途は不明ですがスライドする蓋がついてま­­す。今は、違うものに転用して使用してます。
RIMG1685それはアニマルグルー(にかわ、接着剤)用のグルーポッドに転用。蓋もついてるので埃も入らず、少量なので熱湯につけて柔らかくしやすく重宝しています。ちゃんとしたグルーポッドも有りますが、鉄製で大きいので最近はこちらをよく使います。瓶の中に、溶かす前の固形のアニマルグルーがありますが、これに水も加えて一時置いたものに熱を加えると液体状なります。基本的には、この糊を使ってます。ただ必要に応じて木工用ボンドやもっと強力な糊も使用することもあります。それは、これ以後の修理も考えての選択です。

さて新年も始まり、また今年も修理・修復を進めていきます。
昨年は、依頼された家具修理・修復も増えて、何かしら作業をしていました。1年を通して作業している椅子もあります。お客様のものが大半なので、サイト上では写真を載せていませんが、どんな家具なのか、簡単なリストですが、以下この1年で修理し終わったものです。
修理
・ホールディングチェア(1970~)
カードケースの傷修正と再塗装(イギリス 1920~50)
アームチェア(イギリス 1820~40)
アームチェア(イギリス 1820~40)
テーブル (イギリス 1880~1910)
テーブルの脚 (イタリア20c)
トライポッドテーブル (イギリス 1860~90)
トレイ (イギリス 1900~1930)
スタンド(イギリス 1900~1930)
カクテルキャビネット(イギリス 1970‘s)
・チャーチチェア(1900~1950)
・スツール(日本 昭和)
オットマン(イギリス 1900’s
座の張替
・スツール(1930~50)
・子供用ハイスツール(日本1970~80)
事務用椅子(日本 昭和初期)
製作
・座卓の脚をテーブル用に長さを延長してコピーして同型の脚を製作

今年はどんな家具に出会えるか楽しみにしつつ、慣れると癖になる膠の匂いが充満する作業場からの挨拶でした。

それでは皆様よい御年を!!